【1】1978(昭和53)年11月25日 東京・蔵前国技館 国際プロレス「日本リーグ争覇戦第17戦蔵前大会」



赤色の選手が大会参加当時全日本所属選手、青色の選手は新日本所属選手。


1978(昭和53)年11月25日 東京・蔵前国技館
国際プロレス「日本リーグ争覇戦第17戦」
観衆4500人

1.20分1本勝負
ロッキー羽田(片エビ固め、11:06)鶴見五郎●

2.20分1本勝負
○寺西勇(原爆固め、10:18)小林邦昭

3.30分1本勝負
△デビル紫、スネーク奄美(時間切れ引き分け)米村勉、大位山勝三△

4.30分1本勝負
○アニマル浜口、グレート草津(体固め、9:19)大熊元司グレート小鹿

5.30分1本勝負
ストロング小林(リングアウト、15:59)ミスター・ヒト●

6.45分3本勝負
ミスター・サクラダ、石川孝志(2−1)プロフェッサー・タナカ、ディーン・ホー▲
1.○サクラダ(体固め、3:21)タナカ●
2.○タナカ(体固め、6:11)サクラダ●
3.▲(両軍リングアウト、2:50)▲

7.日本リーグ争覇戦準々決勝45分1本勝負
ジャンボ鶴田(回転エビ固め、16:38)マイティ井上●

8.日本リーグ争覇戦準々決勝45分1本勝負
○ラッシャー木村(リングアウト、12:33)キム・ドク●



史上初の3団体揃い踏み!
・・・と言えば聞こえはいいが、興行的には惨敗の蔵前大会(のはず)。
テレビで見たが国技館の桟敷の金属製の手すりが、人が入っていないせいかすごく目立ってて
どこかで読んだ記憶だと、2階席の客を1階に下ろしてテレビ中継をしたという話も。
日本リーグ争覇戦は国際、全日本所属選手とフリー選手、日系(と称される)選手、
一部韓国キム・イル道場所属選手で優勝を争った大会。
決勝戦は木村とタナカの間で争われ、木村が優勝。
ダブル小林出場の経緯だが、同時期に新日本は国際と同企画、
「日本人によるリーグ、トーナメントによる大会」プレ日本選手権を開催しており、
開幕戦の公式戦で当時若手だった長州力にフォール負けしたストロングが
試合後に控室で「世話になった吉原社長に恩返しがしたい」と発表したことから実現したらしい。
邦昭はストロングの付け人的立場での参加のようだ。
ストロングがそもそも国際出身でありこの大会への参加が一種里帰り的な雰囲気を持つことを考えると
邦昭の参加の方にむしろ歴史的価値があるようだ。
しかも何の因果かのち維新軍〜ジャパンプロレスでタッグを組んだ寺西との対戦。
なお新日本の「プレ日本選手権」決勝大会には浜口、寺西のコンビが参戦し、
猪木-ヒロ・マツダで争われた決勝戦の前に木村と凱旋帰国した阿修羅・原が登場して挨拶(註1)。
翌年には山本、星野の「ヤマハ・ブラザース」の国際殴り込みからIWA世界タッグ選手権奪取と、
理由は不明だが国際が全日本から新日本へ鞍替えし接近しだしたという動きというかきっかけが見られた大会と言うことになろうか。

註1:「こんばんわ」と言ったかどうかは不明。っていうか多分言ってない。



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