No.153
9/10,143の邂逅 新日本―全日本同時出場興行(オールスター戦)

始祖・力道山の時代より50年を超える日本マット史を紐解いてみると
1972(昭和47)年3月にアントニオ猪木が新日本プロレス旗揚げ、同年9月にジャイアント馬場が全日本プロレス旗揚げと
この年から男子4団体時代が始まったが翌1973(昭和48)年に老舗日本プロレスが崩壊。
国際プロレスは存在したものの馬場・猪木の宿命のライバルがそれぞれ自分の団体を設立しての興行合戦が始まった。
猪木は東京プロレス、日本プロレスから続けている「馬場挑戦」をアピールし続けて馬場はそれを黙殺という状況が続いた。
この間両団体は団体間での交流というものが殆どない状態が続いていたが
たった、たった9回だけ、両団体所属の選手が同日の同じ会場での興行に出場したことがある。
ここでは72年9月9日の馬場の全日本設立発表から2000年6月16日の三沢らのノア設立発表による
新日本―全日本の2団体の対立が崩壊するまでの10,143日の間のこの9回を
新日本―全日本両団体所属の選手が出場したという意味合いから「オールスター戦」と呼称し
それがどのような状況で実現に至ったかを検証していきたいと思う。
言うまでもないことだが三沢社長らのノアが設立されてからの新日本―全日本同時出場興行は
全日本の日本勢の層の問題、逆にノアの存在、武藤、小島、カシンら元新日本所属選手の移籍などの理由から
同時出場興行としての希少価値が低下したのでここでは対象外とさせていただく。
筆者はこの9回中7回の生観戦を体験した。


【1】1978(昭和53)年11月25日 東京・蔵前国技館 国際プロレス「日本リーグ争覇戦第17戦蔵前大会」
【2】1979(昭和54)年 8月26日 東京・日本武道館 東京スポーツ主催「プロレス夢のオールスター戦」
【3】1988(昭和63)年 4月 2日 東京・両国国技館 WKA世界空手道連盟「’88格闘技の祭典」
【4】1990(平成2)年 2月10日 東京ドーム 新日本プロレス「’90スーパーファイト IN 闘強導夢」
【5】1990(平成2)年 4月13日 東京ドーム WWF・新日本・全日本合同「日米レスリング・サミット」
【6】1995(平成7)年 4月 2日 東京ドーム ベースボールマガジン社「夢の懸け橋〜憧夢春爛漫」
【7】1996(平成8)年 6月30日 神奈川・横浜アリーナ 力道山OB会&プロレス「メモリアル力道山」
【8】1996(平成8)年 9月11日 東京・神宮球場 UWFインターナショナル「SUDDEN DEATH」
【9】1997(平成9)年 10月12日 東京・両国国技館 WKA世界空手道連盟「’97格闘技の祭典SPECIAL」
資料

記録に戻る
SAMEDASU扉に戻る

web拍手 by FC2