No.298
クラッシャー・バンバン・ビガロ(追悼)


07年1月19日、「ビガロ」死去のニュースをネットで見つける。
まだ若いはずだけどなあ(45歳)、と驚く。

87年新日本初来日の際は映画「ジョーズ」のテーマで入場。
ノースリーブの上着と半ズボンみたいな下穿きを着用。
太い腿を見せていて不恰好なコスチュームだったが
それが何だか逆に「不必要な装飾をされていない」妙な迫力を感じさせて、
実はWWFからの復帰後の炎の柄のロングタイツよりこちらのスタイルの方が好きだった。
初来日時は「ビガロ・スルー」と称されたリフトアップからのトップロープ越し場外投げで怪力をアピール。
またドロップキック、側転など巨体にあるまじきムーブも披露して「身軽なデブ」というジャンルを開拓。

再登場時のシリーズ名は「ブレージング・チェリーブロッサム・ビガロ‘87」、
日本プロレス史上初の選手の名前が入ったシリーズとなった(註1)。

その後WWFに転出。復帰後の横浜文体(88年8月、メインは猪木対藤波のIWGP戦)で
炎の柄のロングタイツを着用して、ほぼ入れ替わりに新日本に登場したB.V.ベイダーと対戦。
この時は開始前にベイダーが例の甲冑を持ってビガロに突進。
甲冑の肩から発射される白煙をビガロに吹きつけた(笑)。

「’89格闘衛星★闘強導夢」史上初の東京ドーム大会ではソ連戦士S.ハシミコフとの対戦でセミファイナルに出場。
攻撃一辺倒の素朴さ丸出しのアマレスラーと丁々発止の試合を見せて
短時間ながら迫力の名勝負を披露(フィニッシュはハシミコフの水車落とし一発で押さえ込まれる)。

新人相手にプロレスを成立させた試合展開のうまさが見込まれてか
翌年の「’90スーパーファイト IN 闘強導夢」では元横綱の北尾光司のデビュー戦の相手を務める。
しかしこの試合はさすがにH.ホーガンの物真似まがいをおっぱじめた北尾相手に、
試合は成立させたもののフォール負けを献上した上に凡戦に終わってしまい
その後ベイダーと組んだコンビでIWGPタッグを奪取したがどうもベイダーの引き立て役みたいな感じで
初来日時の毒素が来日するたびに薄れていったと思う。

なおWWF転出後からか入場テーマ曲がWWFオリジナル?の
「バンバンビガロ、バンバンビガロ」って歌詞が入ったちょっとユーモラスな曲になり
この辺も迫力を削ぐ一因になったのかも知れない。

96年11月有明コロシアム、金網総合格闘技の大会「The U-Japan」でキモと入れ墨対決。
この試合は生観戦したが、展開予想として低いタックルに来るキモを上から潰して
ビガロが殴ったりの攻撃をするのではないか、と考えた。
試合が始まるとまさしくキモが低いタックル。
がしかしビガロはやすやすとこのタックルに屈してしまいキモがあっさりマウントポジションを取る。
その後は金網をつかんで上体を安定させるなど試合運びがうまいキモが上からビガロを殴りまくり。
グランドで背を向けたビガロにキモがスリーパーを決めて圧勝、ビガロ全く攻撃できず。
「PRIDE1」で高田がヒクソンに敗れる1年前、早くも「プロレスラー最強伝説」が瓦解し始めた。

来日の回数に比例するように試合はうまいけど平凡化して行ったように感じる。
しかし頭部の刺青といい、ひと目でプロレスラーとわかるキャラクターでした。

註1:「新春ジャイアントシリーズ」「アイアンクローシリーズ」など選手のイメージを感じさせるシリーズ名は存在したが。

(2007.0121)

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