切鮫と千里眼の居酒屋トーク:第2回
1981年頃のプロレス界〜谷津日本デビュー戦


構成:千里眼、切鮫

*2004年9月、都内某所。

司会:友里(以下司)「まぁた汚い、いや失礼、庶民的な居酒屋さんに伺いまして
切鮫さんと千里眼さんの対談をお願いしたいと思います。
ホントにこういうとこ好きですよね、おふたりは。
千里眼さんは少々お疲れのようですが会社で何かありましたか」

千里眼(以下千)「いやぁ、ISOが・・・、まぁそういうのは止めときましょう。
逆に執筆が好調な切鮫さんはこのところ、
初代タイガーマスク登場 くらいからの作品が連続アップされてるようだけど?」

切鮫(以下切)「いやぁ、当時の素材というか、感想なんかを書き留めたノートや日記、
専門紙や新聞の切抜きなんかが資料としてあるもんですから、そういうものから書いたほうが書きやすいし。
そのほかの時代のもたくさんありますよ」

司「その当時のプロレス界はどんな風だったんですか」

千「当時、 1981年頃は蔵前国技館で常時ビッグマッチを打っていたのは新日だけで、
国際は倒産寸前、全日はたしか日テレから社長が出向してた頃で節約第一なのか大箱での興行が無くてね」

切「馬場の3000試合連続出場記念試合はせっかくの記念試合なのに・・・」

千「そうそう、記念のV・ガニア戦が行われたのは狭い後楽園ホール。悲惨な状態だったね。
反対に新日は悲願の大物外人や自前の日本人スターがたくさん出てきた」

切「だからIWGP構想も出てきたのかな」

千「ところが新日というか猪木は持てる者の悩みというか、
大物外人同士やスター同士が対決するとどちらかが傷つくことを恐れたのか、直接シングル対決をやらない、
またはタイミングを逃すということが続出してしまった」

切「まぁ、IWGPの本戦で全部実現するつもりだったんじゃないでしょうかね。
ハンセンの新日本離脱とローラン・ボックのリタイアは惜しかったなぁ。
そうそう、ボックといえば猪木の欧州ツアーの時、猪木対ヘーシンクのマッチメイクの日があったんだよね。
でもヘーシンクは来なくて、代理でルスカが猪木と戦った」

千「ボックネタでヘーシンクがらみ。たまらないですね。まぁ最近はボック幻想が膨らんでいるようですが」

切「ボックですが、投げオンリーの選手ですから、投げの形を作るまで時間がかかりますね。
今出てきてリアルファイトやっても関節技がない選手だから
パンクラスの小さい奴とかに下から足関節を取られてギブアップで簡単に負けちゃいそうな気もします。
それに82年元旦の猪木戦ではローキック食らって膝に手をあてて立ち往生してましたから
きっとローキックにはお手上げだね、まあ来日した時のボックは体調不良だったから、決戦どうかと・・・」

千「決戦と血栓が掛けてあるんですか?
まぁ最近のファンはセメント、じゃないかという幻想のあるのも含めて、そういうの同士のカードを組みたがるね。
それより 81年当時の新日のメンバーで総当たりをやればよかったのに」

切「血栓の原因はセメントが多くて詰まったということですかね、
いかんいかん、他人の不幸を物笑いにしては。
元に戻って、81年夏から暮れにかけての布陣でIWGPやってればなぁ。
ハンセン、アンドレ、ホーガン、マードック、ブッチャー、ボック、バックランド。これだけでおなかいっぱい」

司「やってれば、ということはやらなかったんですか?」

千「空前の豪華外人メンバーは結局シングル総当たりを行うことなく、あっけなく半年くらいで離散してしまうんでしたね。
ブッチャーのようにIWGP参戦が新日参加の理由だったはずなのに、IWGP本番には一度も出ないという者もいたし」

司「ハンセンはどうだったんですか?」

切「初心者のために言っとくとハンセンは81年暮れに全日に移籍しちゃうんですよ」

千「あの有名な’81最強タッグ最終戦蔵前にブロディ・スヌーカ組のセコンドで登場する。
っていうか、最近の若いファンはハンセンが最初にブレイクしたのが新日だなんて知らないだろうね。
で、イチゴのショートケーキはまずイチゴを食っとくもんだ、ということに気が付いた新日は
残った日本人スター同士の直接対決路線に突入するわけだ」

切「日本人スターっていうか、まず国際軍団だね。
で、82年秋ぐらいに御小こと長州力が噛ませ犬発言から維新軍へと発展していって日本人抗争になるんだね。
で、佐山タイガーは小林邦明とかとやるようになる。当時は層が厚かったと感じるなあ、(新日本の)日本陣営は」

司「そういう頃ですか、谷津嘉章選手の国内デビュー戦が蔵前国技館であったのは」

千「そう、切鮫さんの作品にもあった 猪木・谷津組対ハンセン・ブッチャー組戦
しかし谷津はなんでその層の厚い新日にわざわざ入ったんだろう」

切「はい、調べてみました。えー、昭和55年の月刊ゴング12月号によりますと、
谷津はアマチュア時代にロスで偶然猪木と会って食事したそうです。
その時いろいろ話を聞いて、『プロになるなら新日本』と決めたようです。
なお他団体に誘われたこともあると、自ら告白しておりますよ」

千「ロスで若き日の谷津は例えばプロ入りする時は契約金というか支度金というか栄養費というか、
まぁ早く言えば裏金が貰えるということを教えてもらったんですかね。
他団体って具体的にいうと全日だよね。
その馬場さんは、というか奥様はケチだからそんな金系のことは一言もいわなかったし、とかなんとか・・・。
それから更にもうひとつの団体があるらしいが(笑)そこならすぐにエースになれるけど、
金網デスマッチで痛い思いをしなきゃならないし、とかなんとか・・・」

司「また国際の金網の話ですか」

切「なんか二人揃って金網評論家だね(笑)。
話を谷津に戻すと、ロスで猪木が栄養費を出したっていうのも考えられますね。
ところで“もうひとつの団体”っていうのは社長がアマレス出身なのに
選手にはアマレス出身のレスラーがあまりいませんね。杉山ぐらいですか」

千「スネーク奄美!」

切「なるほど」

千「観戦歴のある切鮫さんから奄美選手に関するコメントがあるとうれしいですねぇ」

切「といいましても 8・26で一回見ただけですから、
8・26の項で書いてしまったのでそれ以上のネタはないですね。
谷津については新日は鶴田の新日本版を考えての獲得だったのかもしれませんね」

千「金もらって楽して痛い思いをせずにベビーフェイスのスターになろうとした目論見は
無残に国内デビュー戦で打ち砕かれたってことでしょう。
ハンセンのラリアット直撃で、薄れる意識でもしかして谷津の脳裏に浮かんだのは
MSGじゃなくてアマリロでデビューして順風満帆なレスラー人生を送る自分だった、わけはないか」

司「谷津選手は全日に入ればよかったんじゃないんですか」

千「まとめられちゃったなぁ。
でもそうだとしたら最終的にはジャパンプロレス解散後に全日本入って鶴田と五輪コンビ組んだんだから
目的は達せられたということですかね」

切「うまい!オチが決まった!もうちょい呑みますか」

司「すみませーん、ホッピー(なか)を3つ!」

切・千(・・・こいつ、何時の間に覚えやがったんだ)

(続く?)

(2004.1011)


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