切鮫と千里眼の居酒屋トーク:第1回
R木村金網デスマッチ公式試合全記録〜気の弱い踏み潰し屋さん


構成:千里眼、切鮫

*2004年8月、都内某所、気温30度超・・・。

司会・友里佐知子(以下友)
「本日は初めての試みなんですが、『ラッシャー木村 金網デスマッチ公式試合全記録』
公開記念と致しまして切鮫さんと千里眼さんの対談をお願いしたいと思います。
司会進行は不慣れですみませんが、わたくし友里がさせて頂きます。
おふたりともよろしくお願いします」

切鮫(以下鮫)「あんた友里って本名かよ(笑)。んなわけねえな。どこから連れてきたんだ?このねーちゃん」

友「まあまあまあ、いきなり暴走しないでテーマについて語ってください・・・」

鮫「んー、まあそうね。
さて、木村の金網デスマッチ全記録、構想はずいぶん前からあったんですけどね。
こうやってまとめてみるとなかなかいろんなことが見えてくるんですね。
木村が昭和45年に初金網やってからそもそも国際の選手にとっては金網は通過儀礼みたいなもんになったんですかね。
S小林G草津もT杉山も、それから田中忠治なんていうのまで金網やってるんですね。
もちろん昭和50年代以後はM井上も、京子さんの父さんのアニマル浜口も、テクニシャンの寺西勇も、
剛竜馬も阿修羅原も、みんな金網経験者だ。
『金網やれなきゃ国際じゃねぇ』みたいな風潮があったかどうかまでは知りませんがね」

友「千里眼さんはいかがですか」

千里眼(以下千)「いやぁ今回はご苦労様。たのしく拝見しましたよ。
で、意外だったのは木村の国際での末期のライバル、スミルノフやストンパーとは金網戦が無かったんですね」

鮫「これは気が付かなかった。スミルノフっていうのはどちらかといえばチェーンデスマ ッチ系でしたね。
金網戦ではタッグでオックス・ベーカーと組んで木村・草津組と対戦し てますね」

友「それにはなにかエピソードとかあるんでしょうか」

鮫「まず、金網タッグ戦やるんですが、勝ったスミルノフとベーカーがその場で仲間割れはじめちゃうんです。
で、次の週に木村への挑戦権を賭けてふたりでチェーンデスマッチやるんです。
しかも45分1本勝負なの、これが。
普通デスマッチは『時間無制限』だよねえ(笑)。
で、ベーカーは『左利きだから』という理由で自分だけ右手にチェーンつけるんです」

千「この複雑すぎるところが国際だね」

鮫「スミルノフは結構こだわり持って木村と対していたという雰囲気がありましたから、
相手の得意な土俵たる金網で戦うことは自分が不利になるということを見抜いていたのではないでしょうか」

友「ストンパーについてはいかがでしょう」

鮫「ストンパーは流智美氏の本によれば『気が弱かった』らしいですから、金網と聞いて
びびったということも考えられますね」

千「なにかの本で読んだ覚えがあるんだけど、
全日でブロディに『キャラが被るから毛皮のシューズ履くな』と言われておとなしく『はい、わかりました』で済ませたとか。
ストンパーは踏み潰し屋と呼ばれていたけど、今日からは『気が弱い踏み潰し屋』ということにしよう」

鮫「で、その気が弱い踏み潰し屋さんは国際時代は俗に言う『三大ギタリスト』のジェフ・ベックの
『レッド・ブーツ』という曲で入場してくるんです。
国際は結構入場曲いいセンスのものがあった。阿修羅原の『愛の花束』はひどかったけど(笑)。
その頃は踏み潰し屋さんはスリーパーなんていう眠らせ技も使ってました。
もしバーン・ガニアが同時に来日していたら『俺の技使うんじゃない』とか控え室で言われそう。
やっぱり気が弱い踏み潰し屋さんは『はい、わかりました』とか言うんですかね」

千「金にシビアなガニアなら『技の使用料払え』とか言うんじゃないかな」

鮫「後楽園での踏み潰し屋さん対木村のIWA世界タイトル戦なんだけど、
踏み潰し屋さんがもうちょっとで勝つってところでコーナーに上がったところを、
乱入したスミルノフに踏み潰し屋さんが後ろから椅子でぶん殴られて負けちゃったんだけど
その時もスミルノフにリベンジしなかったんですかね。
スミルノフに『ここは俺のシマだ、俺のやりたいようにさせてもらうぜ』と言われて『はい、わかりました』だったのかな」

千「カナダで踏み潰し屋さんが、人間風車B.ロビンソンに『世界王者ドリー・ファンク・ジュニアへの挑戦者は俺に代れ』と言われた時も
もちろん『はい、わかりました』だね。
気が弱いっていうより「人が良い」っていうタイプで国際カラーにマッチしたんじゃないかな」

鮫「なるほど、ラッシャー木村に通じるキャラみたいですね」

友「ストンパーってホントは強かったんですか、弱かったんですか」

鮫「草津には5分くらいで勝ってましたね。
日本プロレスに来日した時は馬場のインターに挑戦して引き分けなんですよね。
ノンタイトル戦では猪木に2対1で勝ってるし、まぁ反則含みだけど」

千「猪木といえば新日本になってからだけど、カナダでやったTVマッチで猪木を助けに来たじゃないですか。
最近のデイリースポーツの桜井康雄氏の連載によればふたりは若い頃カンサスあたりでタッグパートナーだったらしいんですね」

鮫「じゃぁ、もしかしたら日プロの時は猪木が旧友に花を持たせたのかもしれませんよね。
『また日本に来てねー』みたいな」

友「結局踏み潰し屋さんは強いか弱いかわからないのですね、
ストンパーって、正式なリングネームなんでしょうか」

千「ザ・モンゴリアン・ストンパー・アーチ・ゴルディ。長ったらしい名前でしょ。
しかもモンゴルだったんだね。“にせ”だけど」

鮫「アメリカのプロレス界には永らくモンゴリアンというキャラはキラー・カーンとか
モンゴリアンズとかみんな弁髪で定着していたけれど実際にはみんなニセモノで、
今新日にいる横綱の兄貴たち、ブルー・ウルフとかまたその兄貴のスミヤとかが初の本物のモンゴリアンということなんですかね」

千「横綱含めたあの兄弟見てたらモンゴル人は別に気が弱いとは誰も思わないよ」

鮫「なぜアメリカマットでモンゴリアンは伝統的な悪役なのか、
については掘り下げていくとかなりまじめな文章が書けそう。
備蓄して今後のテーマとしておきます。
ちょっとだけ仮説をいうと、(ピ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――)、というなんか黄禍論につながりそうなもの。レインボーマンの死ね死ね団かよって」

友「あの、ちょっと金網デスマッチから話題が反れたんですが、
話を戻して千里眼さん、ほかになにか気が付いた事はありますか」

千「記録を見ると第3回ワールドシリーズと思われる時期にも金網マッチがありますけど、
ホントにそうだとすると、それが開催された地方のお客さんは人間風車ロビンソン・
神様ゴッチ・大巨人ロシモフを見てからおまけで金網戦も見られたわけだ。すごい羨ましい。」

鮫「金網マッチのナンバーで言うと【4】がそうですかね。
ドクター・デスは杉山とはこのシリーズで3回くらい金網戦やってます」

千「最近“拉致”で有名になった新潟県の柏崎海岸公園とか、佐渡が島の両津とか、
柿崎っていうこれも新潟の海水浴場として有名なんですが
そこの特設会場とか、なぜか新潟のラッシャーの金網戦の会場って“場末”をモロに感じさせる会場ばかり」

鮫「ちなみにわが足立区でも2試合やっておりました。
区立体育館はみなさんご存知のオープン選手権開幕戦で名が上がりましたが、それ以前は女子プロレスが多かったようです。
東京マリンはもう倒産しましたが豊島園みたいな大プール場。
小さい頃そこでウルトラマンショー見たことあります、って結局両方とも場末感がでかい」

千「ウルトラマン見る方はプールで遊ぶついでだからいいかもしれないけど、
着ぐるみの中はいってウルトラマンやる方は地獄だね、夏だし。
背中のチャック開けて涼んでって、それじゃ久住昌之の漫画だね」

鮫「夏ならワンステージ10Kgくらいやせるんじゃないですかね。そんなわきゃない(笑)。
怪獣は何が出てきたか記憶にないんですが、ウルトラマンはダブルで出てきましたので
『帰ってきたウルトラマン』の放送の後だったというのは確実ですが」

千「国際に戻ると結局そういうところで金網とかやるのは他の選手は嫌がってたんじゃないでしょうかね。
で、吉原社長に『なあ、木村頼むよ』とか言われて人が良いからつい受けちゃったんだろうね」

友「なんとか話が金網戦に戻りましたが、というかほとんど金網の話になってませんね(笑)。
それから司会者には解らない用語がたくさん出てきました。
読者のみなさんはいかがだったでしょうか。
おふたりはこの後無人島でのきのこ狩りをテーマにした映画『マタンゴ』についてお話する予定だそうですが、本文はとりあえずこの辺で。
不定期ですが、できるだけ早めにまた開催いたしましょう」

鮫「もう終わりかい(笑)、おねーさぁーん、ホッピー(なか)!
それからしいたけ焼き!」

千「では私も同じものを」

友「まだ飲むんですか(笑)」

(続く?)

(2004.0911)


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