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1975年頃、子供絵画教室を開設した。絵や版画、絵本、紙粘土、物語りなど子供達と一緒に作った。年に1回“のびろ展”を開催し、作品を発表した。10年後、大人の絵画教室“梅田アトリエ”に変わり、現在も愛知県と神奈川県で続けていて、両方とも年1回の生徒作品展を開催している。子供教室をやり始めた頃は子供世界への作品を作った。学研、研修出版などで民話の挿絵、自分に童話を書き絵を付けて朝日新聞社月刊教育誌“のびのび”に、シリーズ“小さな童話”を、ゼロックス社のグラフィケーションにシリーズ“どんでんまぐり”を連載した。絵本では“ジャータカ物語”(東本願寺出版部)が出た後、オリジナル絵本“宝島”(仮題)を制作した。話の筋より絵のイメージで進行するもので、東京の大手絵本出版社から出される話になった。編集者が我が家にも来るなど深く進行している時、営業サイドからクレームがついた。1冊にまとめるとムードが重すぎて売りにくいと思われるので、テーマを分散して数冊に分けて描き直してほしい、と。盛り沢山で“母と子がそのページにながーく釘づけになる絵本”を目論んでいる自分とは全く意見が合わずお蔵入りに。私は大人が勝手に判断して、咀嚼して与える“子供の世界”にしらけた。 |
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